文字の歴史と伝統とは

當山日出夫先生より「文字の歴史と伝統とは ―文字の伝承の視点から 「祇」を事例として―」(第97回訓点語学会研究発表会、2007年10月14日、東京大学山上会館)のレジュメをご恵贈いただきました。ありがとうございます。

訓点語学会というのは、とても恐ろしい学会だというイメージがある(ちなみに、一応、会員だったりする (^_^;;)。「実物資料」ベースの研究をしているので、膨大な知識と鋭い鑑定眼を持った人たちの集まり。「実物資料」を追い求めて、全国に張り巡らされたネットワーク。学会発表がしょぼかったりすると容赦なくボコボコする…云々。モノを扱う学問であれば当たり前なのかもしれないが、中世日本紀研究が盛り上がってきた頃、紙袋で写本のやり取りをしていた人たちを見て「これは俺がしたいことじゃない」などと思ってしまったヘタレな私としては、こういう学会は憧憬と畏怖の対象なのである。

そんな学会で、こんなことを言ってしまう當山さんはすごいと思う。

本稿の調査は、デジタル・アーカイブなしには不可能である。本学会において、あくまでも実物資料につくべきだという立場があることは承知している。しかし、社会の趨勢として、各種学術資料のデジタル化が進行することは、もはや否定しえない事実である。であるならば、デジタル・アーカイブについて研究者自身も当事者として考えねばならない。(p. 7)

「当事者」意識を持つべし、というのは、何もデジタルに限ったことではなく、あらゆる学問領域に通底する問題であろう。ただ人文科学においては、民俗誌/民族誌などと並んで、デジタル・アーカイブがこの問題を先鋭化してきたことは間違いないのだろうと思う。そのような問題意識の下、私も「人文科学にとっての“デジタルアーカイブ”」(人文科学とコンピュータシンポジウム 「じんもんこん :-) 2004」『デジタルアーカイブ −デジタル学術情報資源の共有と活用−』、2004年12月10日、立命館大学)というパネルディスカッションを仕掛けたり、「「デジタルアーカイブ」とはどのような行為なのか」(『情報処理学会研究報告』Vol. 2005, No. 51 (2005-CH-66)、2005年5月、pp. 31-37)という論文を書いたこともあるが、當山さんの別の論文「なぜ理系と文系の議論はすれ違うのか」(『漢字文献情報処理研究』7、2006年)、「なぜ文系と理系の議論はすれ違うのか(その二)―デジタル時代の『読書の学』―」(『漢字文献情報処理研究』8、2007年)にも通じる、研究活動の表層からディシプリンの成立の深層のところへダイブしようとするようなこのような試みは、もう少し増えてもいいんじゃないかな、と思ったりする(じゃあ、お前やれ?ごもっとも)。

# 文字の話じゃなくて、脱線話ばかりになってしまった。