徳一の「如是我聞」訓読をめぐる二、三の問題

昨年度書いた「徳一の「如是我聞」訓読をめぐる二、三の問題」が活字になった(『東洋の思想と宗教』24、2007年3月、pp. 45-55)。

抜刷がどさっと送られてきたので、花大の先生方にばらまいたら「もろ先生、こういうのが専門なの?」と口々に聞かれる。答えは「違います (^_^;;」。確かに題材としては、卒論以来ずっと読み続けている『守護国界章』というテキストを扱ってはいるが、この論文ではその中の万葉仮名について検討しているので、大部分、国語学的な内容になっている(国文学科の橋本先生にかなりお世話になった。感謝!)。本当は、言語使用における心性みたいなところまでいきたかったが、適当に関連しそうなネタにリンクを貼るだけでお茶を濁す。

ある先生には「旧字なのでびっくりした」と言われる。そう、『東洋の思想と宗教』という雑誌は、福井康順大先生のご意向(多分)により、現在でも旧字で組まれている。文字処理の研究もしているオレ様への挑戦状か?とちょっとムキになって (^_^;; 提出原稿の段階でほぼ完全に旧字にして提出した(旧字変換スクリプト+LaTeXのOTFパッケージ。韓国語フォントマンセー)。