人文情報学シンポジウム ―キャラクター・データベース・共同行為― 2日目

人文情報学シンポジウム
発表者の関係もあり、フィクション班の方々が参加して下さる。

一般キャラクター論、ないしそれの基盤となってきたCHISEプロジェクトで出版する(世に打って出る)確信みたいなものができた、画期的なイベントであった。

河田 学「人文学に《信念》は必要か?──フィクション論からの視点」

フィクション論の重要な概念であるmake-believe(ごっこ遊び)について、否定的な見解を示されていたのが興味深かった。
自閉症との関連はもっと議論を深めたかったが、to be continuedな感じ。

坂内 千里「『説文解字繋傳』データベース化の試み」

説文解字』『説文解字繋傳』という辞書の持つ性格、『説文解字』という一旦オリジナルが消えてしまったテキストを復原的に研究する方法(文献学)の問題、研究者が研究プロセスや研究結果を常に外在化(マークアップ)しながら研究しているという問題、視覚構造と論理構造を同時にマークアップするという問題など、もしかすると本シンポジウムの最も核心に近いネタだったのかもしれないが、坂内さんが電車のトラブルに巻き込まれてしまったのと、時間不足だったので、今イチその意義が深められなかったのは残念(守岡さんの発表でだいぶカバーされていたが)。

守岡 知彦「キャラクターを考える」

視覚構造と論理構造という相容れない世界をつなぐインターフェース(界面)としての文字=キャラクター。“社会”を経由して不断に改変され更新されていく文字=キャラクター。打ち合わせなんかしてなかったのに、私の発表とかなりの面で重なったのはなぜでしょう (^_^;; 一般キャラクター論が具体化した今回のシンポジウムの総括とも言える重要な発表。

石田 美紀「キャラクターが生まれるとき──高畠華宵の「華宵顔」」

題名変更。「キャラクター」と「キャラ」の違いは『テヅカ・イズ・デッド*1に基づく。高畠華宵という挿絵画家による中将湯*2の広告の絵がキャラ化していく様を明らかにされた。中将姫自体が中世からキャラ化しているし、同時代で言えば折口信夫死者の書*3との関連なんかも論じられるかもしれない。

*1:

テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ

テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ

*2:まだ売ってるんだ。知らなかった。http://www.tsumura.co.jp/products/otc/otc01.htm このページもおもしろい:http://www.tokakyo.or.jp/dentoyaku/no2/chuujou.htm

*3:

死者の書・身毒丸 (中公文庫)

死者の書・身毒丸 (中公文庫)