もろ式: 読書日記 - 一般文字(=character?)論のとりあえずの定義で述べた「編集可能性」という概念は、それほど筋は悪くなかったようである*1。今まで「表層」という言葉で言おうとしてきたことも、編集可能性でより明確にできるかもしれない。
ところで、素性の束による文字=キャラクター=オブジェクト表現というCHISE流のモデルにおいて、まったく同じ素性構成の複数のオブジェクトを同じと見なすか違うと見なすかは、一つの問題である。集合論的に「同じ」と言いきってしまうこともできるし、そのような処理(割と単純な比較)が要請されることもあるだろう。しかし、編集可能性という立場からすれば、同じ素性構成のオブジェクトであっても、編集可能性が異なれば異なるオブジェクトと見なすべきであろう。素性の構成をオントロジとよぶなら、編集可能性はトポロジないし場所論*2ということになろうか。
となれば、ここでの編集可能性=トポロジは、現状では暗に存在するオブジェクトIDによって表現?される(というより、オブジェクトIDが唯一の手がかり)ということになる。これはどうも心許ない気がするが、オブジェクトから見た場合、トポロジというものはそういうものなのかもしれない。
もっとも、トポロジと言っても、情報処理系の用語と見ても、
なんて具合にいろいろある。安岡さんのグラフによるテキスト表現ともからんでくる問題として興味深い。