一般文字(=character?)論のとりあえずの定義

守岡さんの「インターフェースとしての文字」論、「一般キャラクター論」に接続できるのかは、ちゃんと話を聞いたことが(そういえば)なかった気がするので自信がないが、最近私がぼんやりと考えている一般文字*1論のとりあえずの定義というか分析概念みたいなものは、

編集可能性として現れた世界の断面

みたいな感じである。しゃべったり歌ったり踊ったりすることで世界を創っていくことはできるが、そのパフォーマンスに参画することはできても、消去したり保存したり別のものを挿入したりすることはできない。参画と挿入とは似てるようで大きな違いがある(後者は、狭い意味での共同作業ではない。不和や捏造の可能性でもある)。こんなことはとっくに誰かが言ってるような気がするが、とりあえず書いておく。

このあたりの考えをきちんと論文化すれば次のステップに行ける気がするのだが、なかなかよい媒体がないなぁと思う今日この頃(CH*2は違うでしょ、ぶっちゃけ)。思うに、『インターネット時代の文字コード*3に書いた論文って、若気の至りだなぁ。

*1:文字、というと誤解があるかもしれないが、デリダエクリチュール(書き言葉)論がそうであったように、日常的な文字よりもう少しゆるい、記号作用等を広く視野に入れた概念である。どこからどこまでが文字なのか、みたいな議論をし始めると、容易に日常的な文字概念は崩壊していくことは目に見えている。ただ、私の中では文字処理研究の延長線上にある議論なので「文字」と言っている。

*2:http://www.sigch.soken.ac.jp/

*3:

インターネット時代の文字コード

インターネット時代の文字コード