霊場としての空港

私は飛行機が苦手である。できれば乗りたくない。この間札幌に行くときに飛行機に乗ったが、乗っている間はずっと「死」のことしか考えていなかった。北海道新幹線なんてすぐできるだろ、とか、韓国へだってがんばれば新幹線を通せるだろ、とか、出張のたびに文句を言っている。

ところが、最近、飛行機に乗りたい自分がいることに気づいた。厳密にいうと、空港でイミグレーションを通過したい、異国に行きたい、というものである。飛行機にのっている間は相変わらず怖いのだが、それを含めて「空の旅」をしてみたい。

よく考えてみると、これは修験道などに見られる死と再生の儀礼に似ているかもしれない。イミグレーションで国境を越え、いったんどこの国でもない(だからTAX FREEな)領域に入る。そこで死の体験(まあ、これは、飛行機が怖い人だけ)を経て、自分のことを知らない人ばかりの外国へ「再生」(というか「転生」かも)するわけだ。空港は霊場なのである。

私の好きな『パリ空港の人々』という映画は、パスポートをなくしたためトランジットゾーンから出られなくなった学者が、そこでずっと暮らしている人々と交流するという作品だが、まさに空港の境界性、異界性が見事に描写されている。空港から出られない人というのは、生物学的にはもちろん普通の人間だが、国民国家という制度から見れば、どこの国にも属さない言わば幽霊のような存在なのだ。空港はそのような幽霊=あの世の人々と出会うことができる(かもしれない)場所、という意味でも霊場なのである。

と、いろいろ理屈をつけて、要するに台湾で飯を食いたい今日この頃なのである。

パリ空港の人々 [DVD]

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