改組しても潰れるところは潰れる

すでにいろいろなブログ(大学という斜陽産業:東和大学の募集停止大学職員.net -Blog/News-: 東和大学 2007年度工学部募集停止→2009年度末廃校?!Matimulog: bankruptcy:また一つ大学が経営難研究する日々:東和大学の募集停止大学教員の日常・非日常:つぶれる大学の学科名)で取り上げられているが、ニュースで報じられたように、東和大学が来春の学生募集を停止(で、多分、そのまま廃校)だそうだ。上にあげたブログを見てると、単に定員割れが原因というわけではなく、内部でいろいろゴタゴタあった結果のようだが、それにしても対岸の火事ですまされるような話題ではない。

東和大学のサイトを見ると、何だかうちの大学と共通点がいっぱいあるような気がする。例えば、あちらさんは「都心の大学」を売りにしているが、うちも「平安京の跡地にある唯一の大学*1」を売りにしている。そのほかにもいろいろあるが、一番似ているのは、改革・改組に対する考え方かもしれない。大学教員の日常・非日常:つぶれる大学の学科名で指摘されているような「迷走」は、そこまで理事会が強くない我が大学ではすぐには起こりえないように思うが、こういう考え方を持っている人はいないわけではない(しかも、声が大きい系の人に、多いような気がする)。改組に関して同僚の先生方と議論しているときも、「もろ先生、情報ってどうよ?就職よくない?」みたいなネタをよくふられる(こんなしゃべり方をする人はもちろんいないが)。その度に、「情報」込みの様々な四字熟語学部/学科(要するに○○情報学部/学科とか情報○○学部/学科)の右肩下がりぶりを力説するとともに、就職がよければ学生が集まるというわけではない、資格は役に立たないかもってことは学生が読む就活のマニュアルに書いてある、みたいなことを縷々説明するわけだが、そうすると往々にして改革への抵抗勢力と思われたりするのが悲しい。個人的には、贅沢なことを言えば、内田樹の研究室: 代々木ゼミナールにて「『文学部』という名称を残すことのできた大学」に我が大学がなってくれたらよいなぁと思ったりもしている。

別に、要素が共通だからといって、同じような結果になるってわけではないけど。短期的には効果はありそうだが、長期的にはちょっと、というような「改革」案は、これから先が長い若手にとっては、いろいろ思案したくなるのです。

*1:平安京の跡地にキャンパスがある大学は他にもあるが、「短大は除く」(池坊短大はこれで外れる)とか「キャンパスの大部分が平安京の中にある」(京都外大はこれで外れる)とか、山田先生が決めた?細かい付帯条件をクリアしているのは我が花園大学だけなのである。