四角いジャングル

フィクションとしてのプロレス研究の一環として。主にミスターXの一連の顛末*1が、ノンフィクションに先行するフィクション?という点で興味があったため。一般に格闘技や武道には、「最強」「無心」などの究極の目標が先行する*2わけだが、プロレスではそれが極めてわかりやすく、かつ短期間でその関係を見ることができるんじゃないか?というのがとりあえずの仮説。

猪木や馬場などの超ビッグネーム以外の顔が全然似てなかったり、主人公がどんどん役割を失っていって最後にはただの通訳になっていたりとか、そういう些末なことはどうでもいいのだ。

*1:ミスターXは、猪木の異種格闘技戦の相手。ウィリー・ウィリアムスに負けるとも劣らない感じで、マンガ中で煽るだけ煽ったのに、来日したらものものすごくしょぼかった。そのため、マンガの中で、ミスターXはこっそり制裁されていて替え玉が来日した、という言い訳?がなされた。

*2:スポーツ一般や宗教もそうだな。でもスポーツの場合、わりとすぐに「限界」が設定されてしまうわけだけど