『ローマの休日』等をめぐる東京地裁の判断はかえってマイナス?

もう、ほうぼうで話題になっていることだが:

ポイントは、

映画の著作権保護期間は、04年1月1日施行の改正著作権法で、50年から70年に延長された。販売会社側は「53年の作品は03年12月31日で著作権が切れた」として05年10月ごろから廉価版を販売。パ社側は、文化庁の「12月31日午後12時と1月1日午前0時は同時のため53年作品には改正法が適用される」との見解に従い、「ローマの休日」と「第十七捕虜収容所」の廉価版について差し止めを求めた。

高部裁判長は「著作権法は保護期間を年単位で定めており(53年作品の保護期間は)12月31日で満了した。改正法は1月1日時点で著作権が残っている(54年以降の)映画のみに適用される」と判断。文化庁の見解については「法的に誤っている」と指摘した。

という点だろう。事実上の法律の著者?である文化庁の見解が否定されちゃったわけで。

ネット上ではやはり、2ちゃんねるをはじめ、いろいろなところで盛り上がっている:

概ね「文化庁の見解が異常。まっとうな判断だ」「官僚やら映画業界はけしからん」という意見が多いようだが(後者の意見は私も概ね賛成だが (^_^;;)、上のスラドのスレでもとりあげられているローマの落日?では、

高部裁判長は、決定文で我々著作権実務担当者のバイブルである加戸先生の逐条解説*1も、改正法の理解に不可欠な「コピライト」記事も、作花本も田村本もバッサバッサと切り捨てちゃってますからね。。一体我々は何を信じればよいのでしょうか??

てな感じで、文化庁の「立法者意志」が否定されたことに困惑している人も少なくないようである。

一見、立法者の意志(≒官僚の解釈)よりも、条文に書かれている通りのことを優先するのは、理屈が通っているように聞こえる。しかし、もし著作権法の条文をそのまま読んだ通りに解釈する、ということを徹底するならば、「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属」さないコンピュータのプログラムには著作権はないんじゃないの?とか、「文化の発展に寄与」しないしょーもないメールや落書きには著作権はないんじゃないの?とか、この判決に賛成な(フリーソフトウェアとかWinnyとかに肯定的な)人々にとって不利なことがおきたりしないだろうか。例えば、GPLが成り立たなくなるとか。

法律ド素人の勘違いならばいいのだが。

*1:ISBN:4885260523:detail