徳一の「如是我聞」訓読をめぐる二、三の問題

ずいぶん前の話になるが、「文書を書くこと・読むこと」ほかというエントリーで書いたように、6月10日、早稲田大学東洋哲学会で発表してきた。タイトルは「徳一の「如是我聞」訓読をめぐる二、三の問題」である。 発表の論点は二つ。一つは、『守護国界章』の文献学上の問題。平安初期に行われた最澄・徳一論争において最も包括的なテキストである最澄の『守護国界章』は、実は現状、江戸時代の版本を底本として研究されていて(というほど、研究者はいないけど (^_^;;)、きちんとした文献批判はされてこなかったという経緯がある(古いのがないんだからしょうがない)。今回の発表では、徳一が「如是我聞」の解釈に用いている万葉がなを分析した結果、平安初期の人にしか書けない原則通りの上代特殊仮名づかいをしていることを指摘し、現行の『守護国界章』が平安初期からほとんど乱れなく書写されてきた可能性があること(すなわち、江戸時代のものだけど、それなりにテキストとして信頼できるんじゃないかということ)を示唆することができた。 もう一つは、徳一に対する最澄の批判の言語依存性について。徳一は「如是我聞」を訓読する際、例えば「かくの如く聞け、我が聞きしところを」のように、わざわざ倒置をしても「如是我聞」という漢語の語順を残そうとする。それに対して最澄は、訳によっては「我聞如是」のように翻訳している場合もあるのだから、「如是」が先頭に来るような訓読の仕方はおかしい、と批判する。すぐにわかるように、漢語や日本語(訓読)に依存した議論である。 現代人の視点から見るとどーでもいーようなやりとりだし (^_^;; 実際、最澄・徳一論争のやりとりにはこういう水掛け論、批判のための批判に見えるものが少なくない。しかし、現代人の常識をとっぱらって、最澄のこの批判にそれなりにリアリティがあったと仮定して考える必要は当然あるだろう。今回の発表では、時間がなくてちゃんと言えなかったんだが、レジュメにこんなことを書いておいた(論文を紹介してくれた北條さんに感謝!):
渡辺滋「文書を書くこと・読むこと —日本古代における音声言語と書記言語の関係を中心に—」が指摘するような、黙読が普及し、行政などの事務処理において文書を音読せずに相手に差し出す方式が登場する8世紀後半〜9世紀代の状況と、最澄の訓読批判が連動している可能性もあろう。また、西澤一光氏が「漢語に対するものとしての俗語の文字化においては、漢字本来の用法に対する仮名書きの非本来性が言語間の価値的な上下関係を意味するものに転化し、固有言語の周縁的性格が顕わにされるのである」と述べるように(西澤一光「上代書記体系の多元性をめぐって」, p. 228)、上代における「日本語」の形成期において万葉がなによる表記がネガティブな印象を持っていたとすれば、それも最澄の発言に影響を与えている可能性もあろう。
今回このあたりは未消化だったのできちんとしたことはまだ言えない(ので上の引用部分もレジュメでは脚注扱い)。特に、カッコ付きの「日本語」=訓読をめぐる問題系は、きちんと論文化したことがないので、慎重にやらないと変な記述になる可能性がある。ただ、最澄・徳一論争を単なる仏教思想史の中だけで捉えてきた従来の研究を打破するうえでも貴重なてがかりになりそうな気がするので、きちんと考えていきたいところである。 なお、発表が尻切れとんぼ(またかよ (^_^;;)だったこともあり、たいした質問はでなかった。懇親会では教主とおしゃべりしたり、学界デビューした愛しの後輩 iwai 君に対して先輩ヅラしていろいろアドバイスしたりして、(病気モードでしんどかったが)楽しい時間を過ごすことができた。