メタ映像としての幽霊表象

石田美紀さんより「メタ映像としての幽霊表象——中田秀夫監督『女優霊』」(『立命館大学アート・リサーチセンター紀要』6、2006年3月)の抜刷を頂いた。感謝。 論題通り、『女優霊』という映画についての論文なのだが、私は観たことがない。論文の最初をちらちら読んでいたら面白そうな映画だ、ということで、最近近くに出来たTSUTAYAでビデオをレンタルして観てみた。ホラー映画なので怖い。怖いのは苦手である(はずなのだが、なぜか、けっこう観ていたりする (^_^;;)。見終わって、ちょうど丑三つ時 (^_^;; トイレに行くべきか真剣に迷った(が、我慢できなかったので行った)。 石田さんの論文でおもしろかったのが、『女優霊』の幽霊表象と初期映画との共通性(あるいは前者による後者の引用——引用なのかな?とも思ったが、細かいところはともかく)であるカメラの「自生性」に関する議論である。写真であれ映画であれ、カメラ(私の大学時代の友人は、映画は「キャメラ」だ、と言って聞かなかった (^_^;;)は脳がフィルタリングしている「ノイズ」をわざわざ目の前に突きつけてくる困ったテクノロジーなわけだが、一方で実はこの脳のフィルタリング機能の克服は宗教などでは非常に大きな目標だったりもする(ということで、宗教〔研究〕者は映画を見なければならないのである。物語に感動するのも、まぁ、含めて)。ここがこの映画の表現上のキモになる、という指摘はなかなか説得的。 花大の学生は、こんな授業を受けられるんだ。うらやましいなぁ。 しかもこの幽霊、特定個人の強い恨み、呪いの表象みたいな形になっていないところもおもしろい。役者の演技は虚構なわけだけど、女優さんの演技が幽霊になって殺人や失踪を起こす。誰かの霊じゃなく、「女優霊」。こういうタネって、大腸菌のせいにしてしまう某有名ホラー映画に比べたら百億倍よいと思うんだけど。