江川さんへのお返事

『会津学』創刊号というエントリーに対して、江川さんという方からコメントをいただいたので、お返事:

会津で育ったのですか?

猪苗代町で育ちました。猪苗代町は、例えば浜通り、中通り、会津というような天気予報的な区分けでは確かに「会津」ですけど、会津若松を中心とした文化的、社会的な領域としての「会津」のなかでは周縁的な場所な気もします。胸を張って「俺は会津だー」とは言えないというか (^_^;;

 私たちは、方法論としてこの聞き書きを採用しているのではなく、自分自身の生き方を掘り下げるための聞き書きなのです。私たちの背後にある多様性に注目しています。
 今の社会の中で中央からこの新たな集権化への動きは変わりません。そうするならば周辺から新たな動きをしてゆこう。会津、東北ともに日本の中ではある意味見捨てられたような地域から新しい息吹が生まれるのではないかと思っています。

「自分自身の生き方を掘り下げるため」「私たちの背後にある多様性(を明らかにするため)」「日本の中ではある意味見捨てられたような地域から新しい息吹(を生み出すため)」というのは、すべて方法論として聞き書きを採用しているのだと私には思われるのですがいかがでしょうか? 例えば、猪苗代という会津のなかでは周縁に属する人が、自分たちの背後にある多様性を明らかにするために聞き書きという方法をとった場合、それを「猪苗代学」とか呼んだりするのは別にかまいませんが (^_^;; 方法論としてそれは東北学=会津学的なんだろうと思います(だからこそ『東北学』という雑誌に沖縄とか韓国とかの話が載るんだろうと思います)。

赤坂さんは研究者というよりは、実践家なのではないでしょうか。

研究というのは実践ですので、単純に研究家と実践家とを対立させて考えるのはおかしいと思いますが、あえてその論法に乗ってお答えすれば、おっしゃる通りだと思います(ちなみに、研究職にある人に対して「あなたは実践家ですね」というと、赤坂先生はどうだかわかりませんが、多くの場合苦笑されると思います (^_^;; 実践家=研究する能力はないけど活発に活動されてますね、みたいにとられたりして (^_^;;)。