「表象文化論学会」(仮称)設立準備大会(初日だけ)

家族会議の結果、お許しをいただいたので (^_^;; 出かけてきました、表象文化論学会(仮称)設立準備大会に。19日だけだけど。会場入りする前に別の仕事もしたけど (^_^;; 大入り満員でしたが、会場では土居さんが唯一の知り合いでした。 ●開会の言葉:渡邊守章 それはともかくこの学会、北條さんが書いているように東大の同窓会みたいな雰囲気が充満していたのは、まあ仕方がないのかな。渡邊氏が、20年前にコースを立ち上げた時の思い出話を(内輪ネタみたいなの満載で)していたけど、20年前にこんなわけのわからんものをでっちあげて、文部省(当時)の役人を納得させ、ライバルだった認知心理学(だっけかな)をプレゼンで打ち負かして、なおかつ卒業生をどしどし排出したのは正直、えらいもんだ(いろんな意味で)と思った。 渡邊氏が、表象文化論の方法論を述べる際、フーコーだ、『言葉と物』だ、と言っていたのは、「閉塞する人文科学を超えて」というテーマからすれば的確な気もしたけど(もう一度襟を正そうぜ、ってな意味で)、表象文化論って看板からすれば今更なーという気もした。まあ、長老のお言葉は大切にしなければならないものである。 ●シンポジウム「閉塞する人文科学を超えて——いま、芸術を問う」 さて、長老のお言葉をうけてのシンポジウムであるが、「映像や芸術作品を論じるという狭義の「表象文化論」と、表象をめぐる思想にまで拡張した広義の「表象文化」が混在してしまっていた気がする」というのは同感(とくに「いま、芸術を問う」の方)。さすがに話なれている中沢新一氏はともかく、他のパネリストはちょっとなぁ。 とは言え、刺激的な話題がそこここにあったのは確か。私としては「閉塞する人文科学を超えて」の方が聞きたかったので、例えば映画論(Film Studies)のリピット氏がいろいろな学部学科を渡り歩いた話はおもしろかったし、中沢氏が、人文学がつぶれるんじゃないかという危機感があったときに、万博のプロデュース話があったのでそれに乗じて新しい学際的な研究所をでっち上げようとするがポシャってしまい、それが様々な因縁があって多摩美でやることになった、なんて話もなかなかおもしろかった(すごいぜ、あにき)。 結局、私がおもしろがっていたのは、「表象文化論」ではなく、人文学者の戦略みたいなところだったのかもしれない。戦略云々は方法論懇話会なんかでやってるように表象文化論じゃなきゃできない話でもないと思うので、そういう意味では「あんたらだけが閉塞する人文科学を超えようとしてるんじゃねーんだぜ」みたいなことは言っておきたいものである。