選挙はお祭りじゃないと

いよいよ明日は総選挙の投票日だけど、前にも書いた通りまだ決めかねている。まあ、明日は明日の風が吹くかな (^_^;; ところで、よく「一票の重み」とか言って統計的に票の「重さ」を比較したり、あるいは「選挙権を行使しよう!」などと言って国民一人一人に主体的な判断が可能であるかのようなことを言ったりする人がいる。もちろん、統計的に平等であったり、国民がマニフェストを読んで知的に判断することで政治が変わるという考え方はとても大切なことだと思うが(ただし、理論的に突き詰めていくとどうして一人一票なんだとかいろいろ議論は出てくると思うけど)、おそらく大多数の人は自分の一票の無力さについても強く意識しているのではないかと思う。だって、千里の道も一歩からって言っても、自分はその一歩分しか行使できないわけだし、100万票入って当選した人に投票した人も残りの99万票余についてはまったくわけがわからないはずで、とにかく自分の投票した人はなぜか当選しているのである。「あなたの一票が未来を決める」と言われても、やすやすと信じることはできないはずだ。 思うに、日本の選挙制度は、投票という行為の呪術性みたいなものをなくす方向で変遷しているのではないか。自分の一票が国を変える!などという言説が強い説得力を持つためには、一票がまさに国を動かすだけの力を持っているというようなマジカルな属性を付与する国家的装置が必要ではないかと思う。選挙の呪術性が減っている証拠に、近年の投票率の低下があげられるだろう。 投票の呪術性を高めるにはどうすればいいか。それはもー、選挙期間を祭りにするのが手っ取り早い (^_^;; 祭りと言っても、地域の「納涼祭り」みたいな、子供をあつめて駄菓子を配るだけのものではなく、明らかに非日常な時空間を作り出すようなもの。候補者が金をばらまくのはちょっとまずいだろうけど、どこかの長者さん?がわけのわからないものを寄進して選挙事務所を飾り立てたり、商店街が選挙モードになって屋台がでたり、あるいは神社仏閣がどんどん前面に出てきて加持祈祷を行ったり、とにかくそんな(なんか、やすっぽい想像しかできないなぁ>俺)、皆が浮き足立ち昂揚するような雰囲気がないと、とても自分の一票が国を動かすとは思えないだろう。 政権交代だ!と民主党は言う。古来、政権交代は神様とか仏様とか上帝とかがやるものだよ、岡田さん