環境リスク学

中西準子『環境リスク学—不安の海の羅針盤』 の続き。非常に興味深く読んだ。計算する際の仮定だとかモデルだとかにこだわりだすと色々文句を言いたくなるのだろうが、それはそれ。基本的な考え方は納得する部分が多い。 単なる思いつきだが、環境リスク学的な教養を社会全体が身につけることのリスクって計算したらどれくらいになるのだろうか。つまり、教育費用がどれくらいかかり、またこれを身につけることによって過度に心配したりして鬱病になっちゃう人とかが何人出るのか、などなど。 同じように、宗教のリスクというのも知りたいな。宗教と科学は対立的に(宗教=科学に対する無知、みたいに)考える人が多いわけだけど、これだけ学校教育が科学的になっているにもかかわらず(重力を疑う人がいない!)、宗教は減るどころか増加してる——正確にはわからないけど、前近代よりも宗教が衰えてるとはいえないと思う(伝統宗教は多様化によって衰退してるだろうけど)——ことから考えると、科学の知識が社会に浸透したとしても宗教は減らず、場合によっては増えたりするかもしれないんじゃないかとさえ思える。 何かを得たいと思うのなら、何かを失うことを受け入れなければならない。当たり前のことなんだろうけど、なかなか難しい話である。