言語論的転回後の仏教学は可能か

Twitterで連続投稿したのだが、つながりが変になって読みにくくなったので、若干修正の上ブログに再掲。ブログは超久しぶり。)

日本印度学仏教学会第67回学術大会の午後は、パネル発表「インド仏教研究の未来―ポスト平川彰時代の仏教学のゆくえ」を聞いた。ハンブルク大のMichael Zimmermann先生の基調講演に加え、佐々木閑先生(花園大学)・松田和信先生(佛教大学)・下田正弘先生(東京大学)というトップランナーが揃うパネルの会場はさすが、大教室が満員御礼。

「ポスト平川彰時代」という刺激的なタイトルであったが、明確に平川彰先生の問題点等を指摘したのは佐々木先生だけだったように思う。ただ、佐々木先生の議論は、平川彰先生の学説に対する批判であって、方法論を批判するものではなかったように思う。そういう意味では「ポスト」感は小さかった。

Zimmermann先生、松田先生が述べていたように、平川彰先生が亡くなる頃から次々発見された梵語写本が、大乗仏教を含む仏教研究全体を変えつつあり、これがいずれ「ポスト平川彰時代」につながることが予想される。ただこれは偶然の産物であるとも言え、新しい仏教学を目指してそうなったわけではない、とも言える。

歴史学における言語論的転回後の方法論を、大乗経典研究に導入しよう!という下田先生の発表は、新しい方法論を模索する、という意味で、最も「ポスト」感が高いものと感じられた。個人的にも、その手の方法論を勉強してきたこともあり、応援したい気持ちが強い。

言語論的転回を意識した研究は、もしかすると東アジア仏教研究のほうが多いのかもしれない(ベルナール・フォール先生とか)。私も、拙著『論理と歴史』で、ドミニク・ラカプラとかヘイドン・ホワイトとかの方法論を参照している。

論理と歴史―東アジア仏教論理学の形成と展開

論理と歴史―東アジア仏教論理学の形成と展開

 

もっとも、今日の下田先生の話では、なぜ新しい方法論を仏教学に導入しないといけないのかがよくわからなかった。「ポスト平川彰時代」というのであれば、平川彰先生の方法では明らかにできないこと、問題点を指摘し、新しい方法論でこんなことがわかるよ!みたいに言わないと、説得力がないように思う。

要するに今日の下田先生の話は、言語論的転回的に言えば、従来の大乗経典研究における素朴実在論(経典で書かれていることには、在家集団のような、外部に何らかの事実があったはずだ)批判だったわけだが、素朴実在論的研究のどこが問題なのか、何が問題なのかは提示されなかったように思う。

「ポスト平川彰時代」とは別に、物語論の方法論を援用して大乗経典のナラティブ分析をするというのは有益であるように思う(桂先生や私が質問で言っていたのはこれ)。この辺について下田先生はまだ見通しを持ってないようだった。ともあれ、言語論的転回という言葉が印仏学会で大々的に言われたのを慶事としたい。

新編国訳成唯識論


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大学院の先輩の橘川智昭さんからご恵贈頂きました。ありがとうございました。

教科書として作られた本ということで一般向けではありませんが、私にはずいぶん読みやすいと感じられました。ある程度『成唯識論』の勉強をした人にとっては、コンパクトで扱いやすい本かもしれません。

「金山寺と韓国の唯識思想」学術セミナー

4月17〜20日、「금산사와 한국의 유식사상」학술세미나(「金山寺と韓国の唯識思想」学術セミナー)に参加してきた。すでにニュースにもなっているが(미륵도량 금산사 알고 보니 유식이 먼저 :: 불교중심 불교닷컴)、簡単にご報告。
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  • 概要
    • テーマ : 「金山寺と韓国の唯識思想」
    • 日時:仏紀2558年(2014)4月18日(金)午後1時〜午後5時30分
    • 場所:韓国仏教歴史文化紀念館(曹渓寺内)
    • 主催:大韓仏教曹渓宗 第17教区本寺 金山寺
    • 主管:中央僧伽大 仏教学硏究院
  • プログラム
    • 開会および挨拶(13:00-13:20)
    • 第1部:「金山寺新羅の唯識學僧義寂」(13:20-15:20)
      • 第1発表(13:20-13:45):崔鈆植(東国大)「義寂硏究の現況と課題」
      • 第2発表(14:00-14:40):師茂樹(花園大)「義寂の新羅の唯識思想」
      • 第3発表(15:00-15:25):朴姯娟(東國大)「『無量寿経述記』を通じてみた義寂の思想傾向」
    • 休息(15:40-16:00)
    • 第2部:「金山寺高麗の瑜伽宗」(16:00-17:30)
      • 第4発表(16:00-16:25):金相永(中央僧伽大)「高麗時代金山寺の歷史と‘瑜伽宗刹’としての寺格」
      • 第5発表(16:40-17:05):黄仁奎(東國大)「金山寺広教院と唯識系教蔵の刊行」
    • 四弘誓願 / 閉会

通訳をつけてもらった私以外は、すべて韓国語の発表である。私の発表は、事前に送った発表概要がこんな感じ:

新羅では、慧遠『大乗義章』や基『大乗法苑義林章』のような、唯識思想に基づく大乗アビダルマ文献が数多く作られた。義寂にも『大乗法苑義林章』に関連する著作があり、逸文の存在が知られている。義寂の著作は、他の同種の文献に比べて多く引用されており、特色のある文献として重要視されていたのではないかと思われる。

義寂の著作は部分的なもの、逸文として残されているものが多く、その思想を把握するのは難しい。本発表では、唐代で多くの議論があった『法華論』の四種声聞について、義寂がどのような解釈をしていたのか検討することで、義寂の唯識思想の特徴の一端を明らかにしたい。

これまで私がしてきた義寂研究は、最澄・徳一論争研究の一環として書いた“Criticism of the Hosso Theory in Girin Quoted by Saicho: Especially with Relation to Wonhyo and Uijok”という論文一本だけなので、義寂研究者を名乗れるような者ではないのだが(逆に言うと、私に声がかかるほど、研究者が少ないとも言える)、今回このような機会をいただいたことで、新しい視点を手に入れることができたように思う。感謝。

実際に発表した論文では、以下の様な附論(「【附論】唯識派における観仏信仰と金山寺」)をくっつけた(脚注、参考文献は省略)。

최연식氏は、金山寺という場において展開した義寂の唯識思想と真表の占察法による懺悔信仰との関連について、総合的な検討が必要ではないかと問題提起をしている(최연식2003)。本稿では詳細な検討をする余裕がないが、唯識派法相宗において観仏信仰もしくは好相行(仏・菩薩の姿を見るための修行)を基盤とした菩薩戒が重要視されていたことを簡単に指摘しておきたい。
真表の信仰との関連が深い『占察経』の前半部分は、『梵網経』などの菩薩戒文献に多く見られる好相行に関連すると思われる。有名な木輪相法による占いは、好相行の代替手段として説かれたものと考えられる。『占察経』に基づくと思われる占察法は、『歴代三宝記』や真表の伝記(『三国遺事』)などにおいてしばしば自撲法とよばれる激しい修行法とともに言及されるが、これは『観仏三昧海経』における観仏行から来ていると考えられる。
菩薩戒と言えば『梵網経』が有名であるし、天台大師らの註釈書や最澄による大乗戒壇独立運動などによって一乗的なイメージも強い。しかし、『梵網経』が『菩薩地持経』(『瑜伽師地論』の別訳)に基づいていることは以前より知られているし、山部能宜氏がインドにおける菩薩戒と好相行との関係を論じるなかで「一見合理的に見える『菩薩地』は、実際の使用にあたっては、より神秘的で見仏懺悔の要素を含む『優波離所問経』と対になって用いられたのではないかと思われるのである」(山部能宜2000)と述べているように、『瑜伽師地論』をはじめとする唯識学派の文献において観仏体験は実践論上の重要な要素であった。
東アジアの唯識派の人々も、好相行による菩薩戒の受戒を重視していたであろうことが、いくつかの資料から推測できる。玄奘はインド旅行中、自身の仏性の有無を確認するために、修行者に姿を現すとされる観音菩薩像に花輪を投げる占いを行っているが、これも菩薩戒における好相行と関連があると思われる。また、基の弟子の慧沼による菩薩戒関連の文献『勧発菩提心集』には、「大唐三蔵法師伝西域正法蔵受菩薩戒法」と題された文献が引用されており、ここには受戒の際の懺悔と菩薩種姓の必要性、そして受戒の際の観仏体験などが記されている。日本においては、鑑真来日以前に『瑜伽師地論』や『占察経』による自誓受戒が行なわれており、鑑真来日後も法相宗の賢璟を含む一部の僧が『占察経』を典拠として鑑真からの受戒に抵抗している。その後も古代から中世にかけて日本においては、懺悔による好相行が盛んに行われていた。
以上述べてきたことはすべて情況証拠であり、これだけで義寂の思想と真表の活動とをつなぐことは難しい。しかしながら、義寂が菩薩戒を重視していたことは『菩薩戒本疏』という著作があることからもわかるし、菩薩戒は懺悔や観仏体験という点で『占察経』と深い関係があることは間違いない 。金山寺を含めて、東アジアの唯識派における菩薩戒・懺悔信仰の実態の解明は、今後の大きな課題であろう。

発表の本題にもいろいろ反応がいただけたが、「おもしろい」といってもらったのはこの附論のほうであった (^_^;)

なお、今回の出張では、私に声をかけてくれた崔鈆植さんや、崔さんと同じく東国大に移った金天鶴さんとの旧交を温めることができた。金天鶴さんは、今回の発表者で最近『新羅法華思想史研究』という本を出された朴姯娟さんとともに、東国大学校仏教学術院に所属している。
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また、今回はちょっと時間があったので、国立中央博物館も見に行った。とても大きな博物館(しかも常設展は無料!)で、駆け足で見ても1、2時間はあっという間に過ぎてしまう。今回は古代の展示と仏教関係の展示を中心に見たが、日本と朝鮮半島がいかに深い関係にあるか、改めて思い直すことになった。
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ついでに、ホテルから徒歩で行ける範囲だったこともあって、所謂「従軍慰安婦」の像も見てきた。これも、日本と朝鮮半島との深い関係を象徴するものと言えるかもしれない。もっと仲良くできないものですかね。
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